明日はもっとくらい
好きなことを  好きなように   想像していると 夢も普通になってしまうので


プロフィール

只野空曹

  • Author:只野空曹

  • 画像は極少だから,
     期待しないで.....
     テキストだけで,興奮できる想像力を育てて見ませんか?
    妄想を膨らまして豊かな生活を
     求めよう
    おもに,Bondage フェチ系
  • RSS
  • カレンダー
    12 «  | 2006-01 |  » 02
    S M T W T F S
    1 2 3 4 5 6 7
    8 9 10 11 12 13 14
    15 16 17 18 19 20 21
    22 23 24 25 26 27 28
    29 30 31 - - - -

  • 2006年07月(5)
  • 2006年06月(7)
  • 2006年05月(14)
  • 2006年04月(3)
  • 2006年03月(15)
  • 2006年02月(15)
  • 2006年01月(22)
  • 2005年12月(21)
  • 2005年11月(23)
  • 2005年10月(23)
  • 2005年09月(20)
  • 2005年08月(12)
  • 2005年07月(19)
  • 2005年06月(13)


  • コメント
  • いいですとも! … 大 乱 交スマッシュブ ラジャーズ(04/19)
  • いやマヂでウマイわw … くれくれ厨(04/11)
  • 俺の女神様w … 不死鳥(04/03)
  • 助かりまくり! … 猫背(03/29)
  • '`,、('∀`) '`,、 … ネトゲ厨(03/22)
  • どりドリ … どりてぃんドリーム(03/17)
  • 助かった。。 … 借¥地獄から脱出(03/13)

  • カテゴリー
  • 合体Sexにおける快感を (19)
  • 日常のお仕置き (65)
  • 快感を追い求めて (98)
  • 女優 (5)
  • Sexロボット (4)
  • アダルト・ビデオ (4)
  • 未分類 (12)
  • 空を跳ぶ旅の気分 (4)
  • 刺激のある飲み物 (1)

  • 最新記事
  • 快感のなかから,痛みも受け容れられるようなやさしい刺激で(07/16)
  • 愛情から始まるソフトボンデージで関係を深める(07/04)
  • 愛する女とのソフトボンデージは,所有欲による愛情表現と考えれば.....(07/02)
  • 女はデリケートで,未知のものには保守的な反応をする(07/02)
  • 麻縄を使って女体のボディ衣装デザインこそソフト・ボンデージ(07/01)

  • リンク
  • 機械は動かないと...
  • ランキングナビ
  • 技術と人間の環境
  • SMx調教 SM奴隷館 Sの部屋 サディスト
  • そのパンティ, かわいいッ!
  • ブログナビ
  • ブロッガーランク
  • AV女優動画紹介
  • アダルトサイトの比較・選択ナビ
  • 美少女写真集
  • 1 NIGHT LOVE STORY
  • エログ検索-ブログランキング-

  • トラックバック
  • 無料アダルト動画:拘束緊縛 恥辱の4時間(05/27)
  • 私のオナニー:パンツ泥棒!!(09/19)
  • Beautiful.com:【国内】vol.4 緒川たまき(07/25)
  • 鮫肌放送:7月20日のガセビア 緒川たまきの画像&動画でっす(07/21)

  • 手作りの道具を使いこなすレベルまで

     現在では便利な道具や自動機械が私たちの周辺に氾濫している.これはつまり自分の手で直接触れてじかに動かすという行為が少なくなっているということだ.とくに家庭内において女性が主体となって行う家事作業においては,10年というスケールで眺めて比較すると,非常に楽になったといえるだろう.



    まず炊事(飯炊き,食器洗い),洗濯,掃除などの日常的な家事がある.どれも便利な白物家電製品のお世話になっていることだろう.もちろん外で物を作る農作業や仕事場における機械という存在も欠かせないものとなっているのだが.....
     だから工芸やアートのように手作りを重視するわけでもないが,機械や道具を否定するほどのこともないが,手の持っている「機能」と,機械のもっている「性能」をうまく組み合わせて使いこなすことによって,さらに素晴らしい日常生活を実現できる場合もあるだろう.


     ボンデージという行為にも,Sexという行為でも,本来は裸になって行うのであれば,からだの他にはなにも道具を用意する必要はないのだ.つまり身ひとつあればなにも持たなくても十分に楽しむことができるのだ.人間が裸になって肌と肌を合わせることは基本にあることだから, 身体のすべての機能と刺激をフィードバックするセンサとなる五感を研ぎ澄まして,快感を高めて創りあげていく楽しさがあるのだ.二人だけの関係による刺激と反応による楽しさを求めて,さらに快感を求めて探すのが最も重要なSexの楽しみ方といえるのだろう.
     さらにその上に刺激的な道具を追加するとしたらが・・・・.つまり身体の機能の代用ではなく,すべての身体の機能に上乗せして使える道具を用意することができれば,そこにはこれまでの合体Sexでは味わうことのできなかった領域に入り込んでより快楽を楽しめる経験が待っているかもしれないのである.


     ということで,便利だから使うということではなくて,刺激という機能を深めるために使うものである.そのためには大人のトーイ(玩具:アダルト・グッズ)は重要な付加物になる.ボンデージ行為においては,自分で使う道具を手作りすることにこだわるのもいいだろう.
     かつてのようにアダルト・ショップにおいて店員と対面して購入する販売方式では,恥ずかしくて店頭では購入しにくいことがあった,そして欲しい道具がなかなか販売されていないのだから,どうしても自作が必要になってしまうという環境ではなくなっているのだ.こうして合体Sexの楽しみ方のバリエーションが増えてそれをバックアップする環境も整ってきたということである.だからマスターとしては楽しみ方のバリエーションを工夫することが要求されるような状況になっているということである.


     さてボンデージ実行者として,なにか個性的な特徴を持った道具を用意できているのだろうか.そのツールをどのように使い込んでおき,パートナーとともに楽しんでいるのだろうか?



    【2006/01/31 00:33】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    Webにおける仮装性向の設定と現実の相違がリスクを生む

     ボンデージという行為におけるパートナーとなる同志との遭遇について考えてみよう.
     インターネットがメディアとして普及したことによって,かつてに比べれると同じ性向を持った同志に出会う確率は改善されたのだろうか?



    逆に情報が出回るに伴い危険に遭遇する確率が高くなっているのは事実であろう.風俗にからむ大人の問題であるから,リスクを覚悟して受け入れることのできる人,危険性とそのメリットを判断できる大人の理性を持った人にとっては便利になったと言ってもいいのだろう.
     しかしWebに情報を発信していると多くの情報が流れ込んでくるものだ.Blog社会の繋がりもあるが, マスコミによって一方的にもたらされる事件関連情報もある.Webの表には現れない事件も同時に進行しているのも事実である.
     一般的にはBBS(掲示板)や出逢い系サイトを使うことで,日頃の生活圏では関係を持つことのできない人との窓口が開けてくる.現実の社会とWebなどのネット社会の違いは「匿名性」にあると考えがちだが,日常の生活では見知らぬ人との関係を新しく築く機会は非常に少ない.知人の紹介であったり, もともと存在した仕事の輪にある関係の中から新しい人との遭遇があるのだろう.


     Webを中心とするネット社会では個人情報がまずデータとして提供されている.たとえば出逢い系サイトを考えてみればいいだろう.まずIDを取得するために最小限は自分情報を開示しなければならない.これは当然のことだが相手の情報も同じようにして入手された情報が閲覧可能となっている.そしてそこには現実の世間ではあまり口にすることのないようなことが書き込まれているのが,出会い系サイトであるということである.これが客寄せのセールス・プロモーションとなっているのだ.具体的な例を上げると,「私は被虐系で,奉仕するご主人様を探しています.ヒモで縛り,鞭でお仕置きしてくれるマスターになってください」などと,お宅系のマニア雑誌の読者投稿欄のような記述をしているのである.自分で勝手に期待していると,ビジネス・プロモーションにつられてうっかり本心をそのようなサイトに投稿してしまう場合もあるのだろう.
     その後は, メールによるレスポンスによって希望者と性向が適合するパートナーと意気投合してしまえば,いよいよWeb上の架空のご主人と実際にどこかでデートを設定することになるのだろう.こうしてWeb上のパートナーの存在を信じてオフラインで会う段階になると,相互に日常の場面では触れない自分の恥ずかしい性向やSex嗜好はすでにメールなどで相互に了解していることが前提になっているわけである.お互いがかなり正直に自分の性向を伝え合っていれば,もう余計な説明はいらない.ところが,この前提がNetおかまさんとか,Web上の仮装人だったら,予想外の事態に進行してゆくことになる.純粋にお互いの嗜好をぶつけ合うことを期待していても,想定外の状況になってしまうわけである.


    この状況であればお互いの素性とか人格は問題にならないが,うまく問題を処理できる即応性が必要となるのだ.つまり待ち合わせた場所から直ちにLoveホテルへ行く事態になるのは珍しいことではないが,パートナーが本当にWeb上の人格と一致しているかは,その場になって見なければわからない.実際に行動することを目的としてWebにアクセスしているのだから当然とも言えるが,現実はWebのビデオ・カメラの前でストリップをして稼ぐほどには,オフラインのブラインド・デートでは身の安全を確保できないと考えておくべきだろう.


     そこにWebにおける風俗に関連した話題には最大のリスクがあるのだ.まれに期待通りにうまく進行する場合もあるだろう.たまたまリスクの少ない相手が本音に共鳴して匿名性に隠れることなくほどほどの事実をさらけ出していれば, または運良く妄想系の相手で具体的な行動力のない場合である.そうするとそれがたまたま偶然だったことが,次からも当然のように考えてしまうのはやむを得ないが,危険なはずの冒険にも危険を認識しないままに飛び込むという事態を次の機会に招いてしまうことになる.
     つまりは大人の判断ということになるから,リスクを自分は承知しているといえばそれでしかたのないことだが, 現実の社会で考えれば不思議なものと第3者には思われるところである.
     似た性向のパートナーに遭遇するのは,運命的なものかもしれないが,それだけでは解決できない代償を要求される場合もあるだろう.焦っているときや思い込んでいるときには,気づかない落とし穴が存在するのだ.そんなところに自ら入り込む必要はないと思うのだが, 自己責任ということを意識しても,穴に落ちてしまう場合にはどうしようもないのかもしれない.Web上には善人ばかりが存在するわけではないのだ.虎の穴に入れば怖い親虎に出会うということなのだから....



    【2006/01/27 01:06】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    快楽系と苦痛系の綱引きによってバランスさせる

    寒くなったので長袖のYシャツを着ている(英国紳士とは違ってノーパンではないが)と,これでしゃがんでも背中が出ない状態になる.冬でも丈の短いTシャツにGパンだとしゃがむと背中が出て寒い.不思議なことにしゃがんで背中を露出しても平気な女性がかなり多い.夏にビキニの水着で太陽エネルギーを蓄積していると,冬になっても耐えられるのだろうか?



     体を縄やひもによって拘束されて縛られると快感が得られるというパートナーの場合には,そのプロセスを2種類に分類できるようだ.体を動かすことができない状態になるとその拘束による束縛感によって快感を感じるという場合と,納得して受け入れた苦痛を甘受しなければならないという状況によって,それが苦痛から快感に転化するという場合である.もちろん苦痛だけが純粋に快感に繋がる場合もあるのだけれども.


     どちらの場合も突き詰めて快感に向かってエスカレートさせていくと,最後は死と隣り合わせの状況に到ってしまう危険が潜んでいるのである.つまりはその頂点に近い手前のどこかで行為の限界と快感の妥協点を見つけ出さなければならないということである.その限界点に到達したときが最高の快楽ということになるのだろう.ボンデージにおいて女体を縄による縛りを始めた段階からそこを目指すこともできるだろう.初めからテンションを高くしておき,一気にその状態から始めることもできるのだから.ただし危険性もかなり高いものとなってしまうが....


     そのためにはパートナーが苦痛系であれば,その快感の得られる移行点をマスターが快楽系として十分に認識していなければならない.快楽系の立場から考えれば,パートナーの状況を考慮する必要はないのだが, 快楽系と苦痛系性向の二人が,または複数でボンデージ行為を行う状況であれば,ほんの少しでもいいからパートナーの状態や反応も考えて作業や刺激を加えるべきである.
     ボンデージを行う場合には,快楽系と苦痛系のどちらの快楽を優先すべきか,さらには両者の合意点を最優先にするのかということで意見が分かれるものである.


     一般的には両者の合意点を基本にして,より快楽を志向するために妥協点のバランスを変更して行く必要があると考えている.
     まだ経験の少ない若い時代には,かなり無茶な作業や刺激を行ったが,現在では本能のままに行動するようなことはほとんどなくなった.よほどのパートナーに恵り会えれば別なのであろうが, オスとして本性を丸出しにしてしまうと相手にダメージを後に残すほどの刺激を与えてしまうこともあるのだ.快楽系は最後まで自分の快楽を追求してしまうものであるから,苦痛系の状態を考えて最後まで刺激しているかというと,結局のところは自分の快楽だけが重要なものとなってしまうのだ.その快楽系の性向と同じ価値を共有できるマージンを持つ,苦痛系が本来のボンデージ行為を快感に転化して受け入れることができるのだろう.


     実際の行為においては,どちらかが無理をして価値観を一致させる必要はないのである.しかしどう考えても快楽系と苦痛系の性向が異なるのだから,同じ価値観を共有できるパートナーに巡り会える確率は零に近いのが現実なのであろう.だから妥協点をわかり合える相手という存在であってもなかなか遭遇することはないのである.Webの世界が便利になって, 以前よりはパートナーを探す機会は増えているのだが,パートナーに巡り会えるのは数ではなく, 命中する確率に運命的な要素が影響しているかどうかということになるのだろう.
     快楽系の性向を持つマスターだからといって,必ずしも苦痛系の性癖を持った相手が最良のパートナーとは限らないということもあるのだから不思議なものといえよう.快楽系の性癖を表に出さなくても自分の中で納得できる相手に会うことができればそれで問題はないということである.これは苦痛系の性向のマスターがベストパートナーを探し出すよりもはるかに難しいことになるのだろう.



    【2006/01/26 10:17】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    無理することなく自分の性向を受け入れること

     人間には生まれ持った性向(性向を意識するまで自分で育てたのだが)というものがあるのだろう.



    そして現在の性向は簡単には変えることはできないものである.偏った性向がそのまま表面化することなく,埋もれさせたままで生涯を過ごせれば問題はないのだ.しかし何かのきっかけで自分の性向を自覚してしまうと厄介な場合もあるだろう.快楽系の性向であればどうしても行為として実行してみたいと思うものだろう.現在の状況においては,AV動画や風俗の世界であれば金銭によって実現することも可能である.しかしあまりに情報が多過ぎるために判断を誤まってしまうことによる弊害があるだろうが, それらを利用して快楽系としてパートナーを手に入れることができれば,比較的容易にボンデージ行為として実現してしまい,眠っていた性向を目覚めさせることがあるのだ.ビジネスの一環としてボンデージ性向を風俗系に取り込まれるようになると,変態カテゴリーから通常の領域に移動してしまうと,商業メカニズムによってさらに話題性を追いかけることによって,正常な進化を妨げることがある.


     ところがそのことによって,自分の性向の展開に歯止めがかからなくなってしまう状態に遭遇するのも珍しいことではない.
     一旦は自分でなんとか封印したはずのものを再開してしまうということは,記憶のフラッシュ・バックのようなもので,禁煙が長続きしない喫煙者の状態といえばいいのだろう.ボンデージ行為においても本能にしたがって歯止めを掛けないと,快楽系の性向にもとづく欲求がエスカレートしはじめることがある.


     それでも何とか自分で妥協点を探しながら対応しているのであれば,その過程の迷いや苦しみも後から見れば楽しい思い出になることもあるだろう.しかし本能のままに最後まで行ってしまうと,「これまで知らなかったころの自分に戻ろう」と意図しても,その時点では後の祭りということになってしまう.過ぎてしまった時間は元に戻らないのだから.自分自身のことを振り返ってみると,その性向の展開については反省すべき事項は多くあるが,自分でやってきたことの結果であるから,現状を受け入れることしか方法はないということだ.このように最近は開き直っているが,本能にしたがって,結局はなるようにしかならないのだ.どこまで自分の倫理観にしたがって,自分の意志で制御できる範囲で,性向を展開させて行く生き方しかできないのだろう.




    【2006/01/23 22:37】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    自分の性向は主観的な判断にしたがえばいいのだ

     女性は自分の性向にM(マゾ:苦痛系)的な傾向があることが判明すると,周囲からMとされている人や心療内科医に相談する人が多いようだ.



    まず真にMとされる人の定義が何を指しているのかよくわからないのだが,雑誌やWeb,小説などに描写されている被虐的な女性というのが本当のM女だということを予断としているのかもしれない.
     自分の性向を第三者的な立場から規定することに,あまりこだわる必要はないと思うのだが,ある種の女性にとっては,客観的にMだと断定されないと自分の性向に自信が持てないということなのかもしれない.
     心理学的にマゾヒスト(被虐性向者)というものと,一般に世間で呼ばれているマゾヒストが同じ性向である必要はない考えればいいのである.自分の性向を狭く限定する必要はなく,似たような分類になる程度の認識でかまわないということである.マゾヒストが異常なわけでもなく,正常とされる性向が悪いわけでもないだろう.本人が自分の性向を主観的に判断して,マゾヒスティックな傾向があると思うのであれば,もうそれで十分なM性のマニフェストではないのだろうか?


     自分の性向がマゾヒストだからといって,サディステック(加虐的)な性向のパートナーと組めば幸せな暮らしが実現すると考える必要はないのである.性向を基本にした組み合わせにこだわるのは内向きな悲しい性格といえるが,そんなことで人生が決まってしまうわけでもない.もちろんSexのときにお仕置き的な要素を取り入れ,ボンデージ行為に抵抗がなければ2人で楽しめばいいのである.体の自由を拘束されることに抵抗があるのであれば,取り入れる必要はないのだから....つまりは,こだわりといってもその程度で,性向のバランスを他人と比較してみても仕方ないだろう.自分の性向は,そのときの本能のままに従えばいいのである.


     時の経過とともに性向は変わるものであるから,また学習によって性向を変えることが可能なのも人間である.しかし性向というものは,意図しなければ変えることができないのも人間なのである.
     ということで現在の性向にありのままに,いくらかは努力のようなものを付加することができれば,Sexにおける楽しみの幅を広げることができるはずである.
     なぜかというと,通常は24時間,1年中ずっと一つのことに関心が集中しているわけではないのである.仕事をしなければ生活費を稼ぐことができないという現実があるからには,時間外の私的な自由時間の一部を除けば,普段はいたって正常なことを考えているのが普通である.なにかのきっかけで苦痛系性向のスイッチが入る,その時点からは別人格のように行動するようになるが,そのモードに常時スイッチを切り替え続けているはずもないのだから.日常の生活時間帯においても,つねに変態的な行為を考えている人を「変質者」と呼んで区別しておけばいいのだ.



    【2006/01/22 22:08】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    放置プレイや針を刺すなどは,もうお仕置きになる

     パートナーを縄で縛った拘束状態にしたままで,かなり長い時間にわたって女体を放置してしまうのもよくあることだろう.



    もちろん放置するマスターも,その時間は動的な作業は行わないがボンデージ行為においては,非常に重要な時間になるものである.何も考えずになんとなく眺めているのもオモシロいものだが,一応は放置状態の女体を観察しているのが普通だろう.
     ただ放置するのではなく,時には女体の柔らかい部位に細い針を刺したあとにそのまま放置してしまうと,もう完全にお仕置きになってしまうのだ.拘束して刺激を効果的に与えるために針などを刺す場合に,注意しなければならないことは,針を刺す場所と保持状態によって放置する時間を調整しておかなければならないことだろう.皮膚の表面に内出血が見えるようになったら,早めに針を抜いて消毒して刺した部位を揉んで組織を緩和しておく作業が必要になる.いわば注射をしたのと同じことになるから,組織を活性化して穴を塞いで出血を止めることを優先しなければならないということである.なお点滴針くらいに太いものだと,太さもあって刺激的だから,乳首やラビアを針で刺し通す場合には効果が大きいだろう.


    こうして針を刺した状態で針に錘をつけておくと,より刺激的な効果が期待できる.ただし細い針では錘をつけると針が折れると危険だから,ある程度の太さの針であれば肌の具合を見ながら刺して刺激することもできるだろう.
     針を刺すだけであれば人体改造までは行かないが,刺激を強くするには良い手段である.ただし針の扱いには慎重な検討をした上で実施するべきで,やりすぎるとパートナーの肌に回復が不可能なダメージを与えてしまい,外科医のお世話になる場合があるかもしれないので,その手前までで止めておくのが大人の分別である.


    つまり,ピアス用の穴あけということになると,もうこれは肉体改造になり,針を刺す行為とは比べものにならない刺激となり,本当のお仕置きになってしまうから,パートナーの同意が得られなければ実施してはならない.



    【2006/01/21 00:25】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    行動を予測する安心感と,予想外の行為によって新しい経験への展開

     男の看護士が増えるにともなって,いつの間にか看護婦(夫)という言葉が看護師(士)に置き換えられてしまった.



    こんどは産婦人科を女性診療科に名称変更をするのは,総務省のお役人様が考えたものらしいが,余計なお節介のような気がする.中学生が婦人科や産科に診療に行きにくいというが,現実に患者が低年齢化しているのだから,診療所の看板を変更するほどのことではないように思う.


     ボンデージの世界には不思議なこともあるもので,初めて縛るパートナーにも作業のタイミングや意識の同期が上手くかみ合う女性に巡り会うことがある.かなり前からボンデージ拘束の付き合いがあるかのように女体を拘束する手順がスムースに進むことがある.これが必ずしも順調ということではないのだが,拘束作業が楽に進行するのは確かで,気持ちもしだいに載ってくる.
     こんなスムーズに縄による拘束手順が行えるときに,わざと意識的にタイミングを計って拘束する順序をいつもとは反対にしてみたり, 途中を省略するなどと意識していつもと異なる作業にすると,その途端に順調なタイミングがずれてくる.快楽系のマスターとしては,どうしてもパートナーの受け入れペースに従って作業を進めてゆくには,時々自我が出てきてしまうのである.


     ようするにボンデージにおける女体を拘束するペースは,マスターとしてこちらで主導権を持って作業を進めたいと言うことである.パートナーの苦痛に対する許容幅にも寄りのだが,通常の 手順を飛ばして作業を進めるとパートナーもどこかおかしいと感じはじめるようだ.
     さっきまではなじんだ関係みたいな気安さがあったのが, 途中から突然として初めての関係みたいに戻ってしまうような戸惑いになってしまうのである.マスターの行動が予測したことと違う意外性がきっかけになっているのだろう.誰もが「こう・・・なるはず」,「つぎは・・・となるような気がする」と相手の行動を推測しながら,自分の対応を考えているのだ.それが推測と実際の出来事が異なってくると,行動の予測ができなくなって,気安さがなくなりそれまでの安心感が不安感に変わってしまうことになる.


     いつもの手馴れた拘束手順は,手慣れた基本コースとして使い勝手のいいものとなっているのだが, 時には意外性を意識して別の進行手順を組み入れると,パートナーも新鮮な反応を示して意外な展開になることもあるだろう.さらに,それがこちらにも影響して,想定外の方向に進んでしまうことがあるのだ.そんなことを意図して新鮮な状況を味わうのも楽しみの一つになるだろう.



    【2006/01/20 00:07】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    DVとボンデージは異なるのだが,パートナーとの意識が同期しないと

     普段はしとやかなお嬢さんなのに,自動車の運転席に座ると性格が一変してしまう人がいる.



    移動する個室と時速100kmを超す速度を自由に操れる環境を手に入れると圧倒的に攻撃的な性格に切り替わるのである.


     ボンデージとドメステック・バイオレンス(DV)の違いは,ボンデージが女性に奉仕する妄想の一環としてパートナーとともに快感を得るための行為として合意の上の暴力を伴うものであることにある.またボンデージが生身の人間を対象にしたときより,自分だけの独断による行動ができないことである.
     それでも感情に任せてわがままな行動をとろうとすると,パートナーとの関係に微妙な意識のズレが生じてしまう.そこに間違いが発生することがあるのだが,パートナーとマスターの性癖が完全に一致している場合には問題はないだろう.苦痛系と快楽系という相互関係として求めるものが一致しているのだから,ズレは生じない.


     だから些細な縛る場所などにこだわっていると,それがズレのきっかけになってしまうこともある.たとえば手首を縄で後手に拘束した状態を好むマスターと手首の拘束が嫌いなパートナーの組み合わせでは,その次のボンデージ段階に移行するとさらに関係がギクシャクしてしまうだろう.さらに拘束した女体を吊り上げたい人と,吊りに恐怖を感じるパートナーでも同じ問題が発生するだろう.ボンデージ行為の方向性にずれを感じると相互に違和感が出てきてしまうので,さらにその先に進めるとパートナーと気持ちが同期しなくなってうまく行動が受け入れられないようになるだろう.これではDVになってしまう.


     ボンデージのプロセスでは,パートナーの状況に合わせて行動を進めてゆくということも時には必要ということである.しかし,ビジネスの貿易交渉ではないが譲り合うように合わせるばかりでは相互の意識の同期が生じない.苦痛系が求める行為の1クラス上を適切に実現できればそれが理想だが,そのためには快楽系のマスターが快感を我慢したり,意識を変えなければならない場合もあるだろう.とどのつまりは本人の意識と本能の釣り合いをうまくとることである.意識のバランスをとりながら,快楽系では刺激を与える方向へ苦痛系パートナーを誘導するための準備期間を与えなければならないということである.いわば体のウォーミングアップするための時間と,苦痛から快楽へ飛び越えるタイミングを適切に捉えることができれば,パートナーとマスターがともに揃って快感への段階をひとつ登ることが可能となるだろう.



    【2006/01/19 00:34】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    奉仕する快楽系と受動的な苦痛系の組み合わせ

     パートナーの女体を縄で縛るというと,実際に肉体に縄を掛けて拘束するのであるが,精神的な面でも女の心を縛りつけてしまうということもあるのだ.



    これは非常に微妙な表現になるようだが,一時的にもパートナーの精神を掴んだ状態というのは,その心を縛りつけて支配している状態といってもいいのであろう.心を縛り付けるというよりも縛られているという受動的な表現のほうが実態に見合っているのかもしれない.


     ボンデージ行為においては,「主従関係」という表現が出てくることもあるが,相互の合意によって行う場合だから,あまり好ましい表現ではないのだが,ほかに適切な言い様もないから,通俗小説に出てくるような表現で我慢せざるをえない.この場合には主がマスター, 従はパートナーということになるのだろうが, 実際にはどんなものなのかとは思うのだが......しかし時には,パートナーが主導権を持った状態での関係だってありえるのだから.つまり実生活と二人だけの時間では関係が継続することも,逆転することも実際に起こりえるということである.そんなことはどちらでもいいと考えるのも面倒だから成り行き任せでいいだろう.


     その結果として何があるのかということは重要なことだが,そこに辿りつくまでのプロセスも重要な手続きである.だから原因というか,発端となるものはどうでもいいのかもしれない.
     本来は快楽系のマスターも苦痛系のパートナーも,通常はどちらも一人の人間の中に存在する好みとして存在する要素である.ただ,これらの関係は一人では成立することはなく, やはり相手に巡り会ってのみ成立するものであるから,本来の快楽系や苦痛系の考え方に相手との関係ということが付加されるのである.これが話を判りにくくしている根本ではないかと思うのだが,単純に快楽系はいじめて楽しむ性質,苦痛系はいじめられることによって快楽に転化する性質と置き換えてしまうのはあまりに単純化し過ぎだろうか.たとえそうであったとしてもその欲望や,要望を満たすためにはパートナーとして受け入れてくれる相手が絶対に必要である.
     苦痛系同士であっても,快楽系同士でも関係を成立させることは可能でも,上手に行動を合わせることはできない場合もあるようだ.それよりも単独では単なる妄想でしかないということである.妄想としての個人の性癖を具体化するためには,受け入れる相手が必要だということである.



    【2006/01/18 00:01】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)
    縄による女体縛りは,仕上がりの美しさで評価しよう

     寒い冬にミニスカートを着用する女子高生は,そのおみ足に視線を集めている.



    階段を登ろうとするとさらに視線を感じるのだろう.きれいな太ももを視線から守るために鞄やバッグで隠そうとする.なんと興ざめな行為だろう.視線は本能に従って鞄やバッグから漏れた場所に移ってゆく.寒いのにミニスカートを選んだときに,太ももを曝す(場合によってはパンツまで)決意をしたことには拍手したいが,階段での無様な怯えによる中途半端な行為は許せない.近くにいる痴漢予備軍の方々は,こんな無粋なでカワイくないミニスカート女子校生にお仕置きを!!


     ところでボンデージというのはお仕置きであるから,縄を十分に使って女体をきっちりと拘束する縛りが本来の方向性となるのであろう.女体をご本尊として縄で縛って性感を刺激するために奉仕することになるのだが,マスターがパートナーに行うボンデージ行為における好みの問題になってしまう.ということになるから,どんな縛り方でパートナーの性感を刺激するのがいいのかということにつきるのだろう.
     女体を拘束した仕上がり状態が,すっきりとした幾何学的な対称形状にまとめてしまうのも好みであろう.縄で縛りながらパートナーが抵抗できないのをいいことに悪さをしているうちに,使用する縄の本数が増えてしまうことがある.パートナーによっても異なってくるのだろうが,女体を縛っているときの気分によって,作業の流れも変わるのだろう.


     日本の緊縛というのは江戸時代の捕縛術からはじまっているといわれているが,海外であれば女体を拘束するのが目的であれば,縄以外の拘束具も併用している.手錠や鎖といった金属製品も多く存在するようだが,縄というフレキシブルな道具は縛り方を工夫することによって作業者の美意識が形として作用しているようにも見えるだろう.
     本来は罪人を縄で縛って逃げられないよう拘束するためだったのが,拷問にかけるために縛っているうちに,縄による縛り方の仕上がり状態には美的効果があるようにも思える.縄をもちいた縛り方に名称がついているのも,そのお仕置きの美しさを評価したところから出てきたのだろう.


     その視点からいえば,仕上がりの美しさということも考慮に入れるのは当然であるが,縛るということによってお仕置き本来の目的である拘束を実現して,かつ仕上がりに美的なセンスを付加して完成させるいくには,感情の流れに任せて無闇に女体を縄で縛ってしまうのがよい方法とはいえない.もちろん女体の縛りに慣れてしまえば自分の好みや得意なパターンといったものが備わってゆくので,大雑把な仕上がり状態を想像して,縛り先行させて作業を始めれば手順は考えなくても出来上がっていくだろう.




    【2006/01/16 21:23】 日常のお仕置き | TRACKBACK(-) | COMMENT(0)