男の看護士が増えるにともなって,いつの間にか看護婦(夫)という言葉が看護師(士)に置き換えられてしまった.
こんどは産婦人科を女性診療科に名称変更をするのは,総務省のお役人様が考えたものらしいが,余計なお節介のような気がする.中学生が婦人科や産科に診療に行きにくいというが,現実に患者が低年齢化しているのだから,診療所の看板を変更するほどのことではないように思う.
ボンデージの世界には不思議なこともあるもので,初めて縛るパートナーにも作業のタイミングや意識の同期が上手くかみ合う女性に巡り会うことがある.かなり前からボンデージ拘束の付き合いがあるかのように女体を拘束する手順がスムースに進むことがある.これが必ずしも順調ということではないのだが,拘束作業が楽に進行するのは確かで,気持ちもしだいに載ってくる.
こんなスムーズに縄による拘束手順が行えるときに,わざと意識的にタイミングを計って拘束する順序をいつもとは反対にしてみたり, 途中を省略するなどと意識していつもと異なる作業にすると,その途端に順調なタイミングがずれてくる.快楽系のマスターとしては,どうしてもパートナーの受け入れペースに従って作業を進めてゆくには,時々自我が出てきてしまうのである.
ようするにボンデージにおける女体を拘束するペースは,マスターとしてこちらで主導権を持って作業を進めたいと言うことである.パートナーの苦痛に対する許容幅にも寄りのだが,通常の 手順を飛ばして作業を進めるとパートナーもどこかおかしいと感じはじめるようだ.
さっきまではなじんだ関係みたいな気安さがあったのが, 途中から突然として初めての関係みたいに戻ってしまうような戸惑いになってしまうのである.マスターの行動が予測したことと違う意外性がきっかけになっているのだろう.誰もが「こう・・・なるはず」,「つぎは・・・となるような気がする」と相手の行動を推測しながら,自分の対応を考えているのだ.それが推測と実際の出来事が異なってくると,行動の予測ができなくなって,気安さがなくなりそれまでの安心感が不安感に変わってしまうことになる.
いつもの手馴れた拘束手順は,手慣れた基本コースとして使い勝手のいいものとなっているのだが, 時には意外性を意識して別の進行手順を組み入れると,パートナーも新鮮な反応を示して意外な展開になることもあるだろう.さらに,それがこちらにも影響して,想定外の方向に進んでしまうことがあるのだ.そんなことを意図して新鮮な状況を味わうのも楽しみの一つになるだろう.

