女性は自分の性向にM(マゾ:苦痛系)的な傾向があることが判明すると,周囲からMとされている人や心療内科医に相談する人が多いようだ.
まず真にMとされる人の定義が何を指しているのかよくわからないのだが,雑誌やWeb,小説などに描写されている被虐的な女性というのが本当のM女だということを予断としているのかもしれない.
自分の性向を第三者的な立場から規定することに,あまりこだわる必要はないと思うのだが,ある種の女性にとっては,客観的にMだと断定されないと自分の性向に自信が持てないということなのかもしれない.
心理学的にマゾヒスト(被虐性向者)というものと,一般に世間で呼ばれているマゾヒストが同じ性向である必要はない考えればいいのである.自分の性向を狭く限定する必要はなく,似たような分類になる程度の認識でかまわないということである.マゾヒストが異常なわけでもなく,正常とされる性向が悪いわけでもないだろう.本人が自分の性向を主観的に判断して,マゾヒスティックな傾向があると思うのであれば,もうそれで十分なM性のマニフェストではないのだろうか?
自分の性向がマゾヒストだからといって,サディステック(加虐的)な性向のパートナーと組めば幸せな暮らしが実現すると考える必要はないのである.性向を基本にした組み合わせにこだわるのは内向きな悲しい性格といえるが,そんなことで人生が決まってしまうわけでもない.もちろんSexのときにお仕置き的な要素を取り入れ,ボンデージ行為に抵抗がなければ2人で楽しめばいいのである.体の自由を拘束されることに抵抗があるのであれば,取り入れる必要はないのだから....つまりは,こだわりといってもその程度で,性向のバランスを他人と比較してみても仕方ないだろう.自分の性向は,そのときの本能のままに従えばいいのである.
時の経過とともに性向は変わるものであるから,また学習によって性向を変えることが可能なのも人間である.しかし性向というものは,意図しなければ変えることができないのも人間なのである.
ということで現在の性向にありのままに,いくらかは努力のようなものを付加することができれば,Sexにおける楽しみの幅を広げることができるはずである.
なぜかというと,通常は24時間,1年中ずっと一つのことに関心が集中しているわけではないのである.仕事をしなければ生活費を稼ぐことができないという現実があるからには,時間外の私的な自由時間の一部を除けば,普段はいたって正常なことを考えているのが普通である.なにかのきっかけで苦痛系性向のスイッチが入る,その時点からは別人格のように行動するようになるが,そのモードに常時スイッチを切り替え続けているはずもないのだから.日常の生活時間帯においても,つねに変態的な行為を考えている人を「変質者」と呼んで区別しておけばいいのだ.

