人間には生まれ持った性向(性向を意識するまで自分で育てたのだが)というものがあるのだろう.
そして現在の性向は簡単には変えることはできないものである.偏った性向がそのまま表面化することなく,埋もれさせたままで生涯を過ごせれば問題はないのだ.しかし何かのきっかけで自分の性向を自覚してしまうと厄介な場合もあるだろう.快楽系の性向であればどうしても行為として実行してみたいと思うものだろう.現在の状況においては,AV動画や風俗の世界であれば金銭によって実現することも可能である.しかしあまりに情報が多過ぎるために判断を誤まってしまうことによる弊害があるだろうが, それらを利用して快楽系としてパートナーを手に入れることができれば,比較的容易にボンデージ行為として実現してしまい,眠っていた性向を目覚めさせることがあるのだ.ビジネスの一環としてボンデージ性向を風俗系に取り込まれるようになると,変態カテゴリーから通常の領域に移動してしまうと,商業メカニズムによってさらに話題性を追いかけることによって,正常な進化を妨げることがある.
ところがそのことによって,自分の性向の展開に歯止めがかからなくなってしまう状態に遭遇するのも珍しいことではない.
一旦は自分でなんとか封印したはずのものを再開してしまうということは,記憶のフラッシュ・バックのようなもので,禁煙が長続きしない喫煙者の状態といえばいいのだろう.ボンデージ行為においても本能にしたがって歯止めを掛けないと,快楽系の性向にもとづく欲求がエスカレートしはじめることがある.
それでも何とか自分で妥協点を探しながら対応しているのであれば,その過程の迷いや苦しみも後から見れば楽しい思い出になることもあるだろう.しかし本能のままに最後まで行ってしまうと,「これまで知らなかったころの自分に戻ろう」と意図しても,その時点では後の祭りということになってしまう.過ぎてしまった時間は元に戻らないのだから.自分自身のことを振り返ってみると,その性向の展開については反省すべき事項は多くあるが,自分でやってきたことの結果であるから,現状を受け入れることしか方法はないということだ.このように最近は開き直っているが,本能にしたがって,結局はなるようにしかならないのだ.どこまで自分の倫理観にしたがって,自分の意志で制御できる範囲で,性向を展開させて行く生き方しかできないのだろう.

