もともと緊縛という女体を拘束する行為は,ボンデージの領域において,江戸時代(1600年以降)より日本独自の性愛手法として伝わってきたものである.
つまり明治期以前に,牢屋の役人達が荒縄で縛られ引き回しの刑を受ける女囚の様子に,本能を興奮させる何かを感じた者たちの妄想から発展し,それを結実させたのが緊縛の起源と言えるだろう.緊縛がボンデージとして確立する前の時代には,荒縄や麻縄などが用いられていた時期があったが,現在では素肌にやさしい麻縄と綿ロープが主流の拘束ツールとなっている.
もちろんヨーロッパにも魔女を晒し者にする刑はあったが,木や金属を加工した専用の拘束具を製作して使用したため,江戸期の日本のように縄を用いた素肌の緊縛に対する憧憬は存在しなかった.これがインターネットを利用した性風俗情報の交換によって,ようやく欧米でもフレキシブルなひもによる緊縛が注目されるようになった.ある意味では拘束のユニバーサルなツールとしてソフトな麻縄やコットンひもをつかったボンデージが欧米でも行われるようになった.
かつて明治期に浮世絵が日本の性風俗をヨーロッパに影響を与えたように,1980年代の日本の緊縛と女体拘束に対して評価した影響がかなり大きいと言えるのだろう.
昭和期までは,江戸期以来の緊縛を中心としたボンデージの流れは,他人には知られてはいけない変態性欲として闇の中で密かに受け継がれて,一般の人々からは存在が認知されていなかった.しかし昭和末期ころより,印刷メディアの発達と性の自由化の中で認知され,一般にも受け入れられるようになっていた.かつてより日の当たる性風俗としてストリップ劇場の色物として地域で興行されて緊縛が出てきたといえよう.とはいっても,まだまだ日陰の性嗜好であることに変わりはなかった.緊縛やそれに関わる性嗜好の一切がいまだに背徳性を残していることは確かである.そしてこの背徳性こそが恥を重んじる日本人の気質と重なり,人を緊縛に夢中にさせる大きな要因のひとつとなったのだろう.
要するに昭和期の緊縛とされた性風俗は,いわば変態性欲の基盤的な位置付けを持っていたが,緊縛という作業単体では性欲や嗜好を満たすには不十分なものであった.緊縛の根源とされた引き回しの刑もいまの時代なら緊縛した状態で放置プレイという素肌の露出に繋がるものといえるだろう.当時の各種の刑罰における拷問が,鞭やロウソク責め,浣腸などの苦痛系に到る女体責め行為としてのプレイに変容しボンデージというかなり広い性風俗カテゴリーの中で受け継がれている.
そのような意味で女体の四肢を拘束し自由を奪い拘束する目的だけに限定すると,欧米で開発された各種の拘束具の方が合理的とも考えられる.しかし日本人のボンデージ愛好者の多くは,実用的な拘束具よりひもを使った緊縛を好む傾向が見られる.これは緊縛によって女体が醸し出す独特な拘束による美があると思われる.このひもというツールが女体を拘束する緊縛美があるからこそ,オスは緊縛に魅了され,自ら縄を手にして芸術に浸るのである.
この緊縛美というものほど儚い女体美はないだろう.ある女性をひもで拘束して縛りあげて,素晴らしい女体の緊縛美が実現しても,その状態を永遠にとどめることはできないのだから...再び同じ女性に同じようにひもで縛り緊縛を施しても,同じ美は再現することは出来ない.つまりボンデージで女体を素材として取り扱うマスターはその感動を人と共有するためにに緊縛した女体の画像を写真に記録して作品としてWebに公開することもある.しかしどんなボンデージ・マスターによる緊縛写真も,生の緊縛美を目の当たりにする感動からはほど遠いものである.緊縛美とは,その瞬間その場にいる者だけが享受できる瞬間の美ともいえるだろう.
ところで緊縛作業はそれほど難しいものではない.たとえ複雑に見える拘束縛りであっても,縄で女体を縛る基本を踏まえてそれに応用を施したものである.基本的な女体の縛り方とルールを覚えてしまえば,誰でもできる行為といって過言ではない.ただし女の裸を美しいと思う感性がなければできないのだが.そのためにも被縛者への配慮を伴う縛りの基本を覚えることが重要なステップとなるだろう.


