ところでパートナーにボンデージはダメといわれると,潜在的にいつかやってみよう意識を植え付けられてしまう唐変木な性格のような気がする.
ボンデージに関わる一番のきっかけとなったのが,秘められてきたタブーに浸るという背徳の後ろめたさが快感に繋がるからだと思う.
パートナーよりダメとか,「絶対に嫌」と言われると,そんな障害をなんとか突破して,快感にたどりつく楽しみが過程として存在する.
要するに,相手が「ダメ」で「嫌」なことを手間と時間を掛けて説得して合意を得て行い,かつそれによって未体験な快感と感じさせること,この結果にタブーを犯す楽しみがあるということだ.
単純に自分がタブーを犯すというよりは,パートナーにタブーを乗り越えさせるプロセスを楽しむということである.アナロジーとして考えると,「ピーマンが嫌いな子になんとか好きにさせておいしく食べるように」するようなものかもしれない.
いわば,未体験の性風俗を実際に自分が覗いて経験したいけど,現実には踏み出せない状況にある....
そういうパートナーとともに,未知の世界への冒険に出かけるという感覚である.たとえばようやくボンデージに合意したパートナーには,まず軽くひもで拘束して,大人の玩具などで,
自分の身体に振動を刺激として入力するとどう感じるのかを確かめて見るのだが,ちかごろの女は自分でロータで楽しむ程度は普通だから......
ボンデージの未経験者を相手にする場合の女体拘束っていうのはかなり気を遣ってしまい案外むづかしいもんである.
パートナーの意向に合わせてタオル,手ぬぐい,ハードな手錠,コットン縄などを選択して使うのだが,これは慎重にプロセスを進めるために,予測できない怖さと予想以上の痛さは未経験者には拒否に戻るきっかけになってしまうからである.
だからといっても,腕を拘束する縛りが緩すぎるのも逆効果で駄目ということである.
これが......パートナーに適切な拘束感を期待通りに味合わせるというのは,非常にむずかしいというわけで.

