だからとは言え,現実にはそれが実現する機会に恵まれるというのは,滅多にあるものではないらしい.とはいっても,学生生活を経て社会に出て生活し,毎日を過ごしているのであれば,多くの人と出会い,言葉を交わし,挨拶をしているのが現実であろう.
そのような日常のなかにおいても,被虐性を内に秘めた女を理想のパートナとしていればいつかは出会えるものなのだろうか?たぶんそのような女はどこかに居るのだろう.決してもの静かで目立たない存在の女のなかに,被虐性を内面に秘めた人が多いわけではないのだろう.あるいはそれとは反対に明るく笑顔の素敵な女のなかにも被虐性をうちに持った場合が多いのであろうか?
女をボンデージの対象に鑑定する立場より,単純に被虐性と加虐性に分類するのであれば,その判断の規準や見分け方ということについては,別の機会に触れることにする.ここでは,ようやく言葉を交わせるような関係を築き上げほどになったのであれば,さらに楽しく会話ができるように展開していき,友情を感じられるような関係へと発展させていくことになるだろう.そして,さらに恋人同士の関係にまで深めてゆくことができれば,もうこの段階において女の体をボンデージという調教行為という愛撫対象にするまでのプロセスのおよそ半分のところまでにはたどりついたと考えてもいいだろう.
しかしながらそこであせって,突然シナリオもなく縄や,拘束具を取り出して並べてみせたり,浣腸器や医療器具をあえて使おうと考えて行動に走ってはいけないということである.
一般的には女との合体Sexを目的にしているのであれば,男はまず「射精することが第一段階」と考えて,もっぱら性器の接触から挿入することに専念するのではなく,その前座として女の肉体を丹念に接触して刺激するなどの愛撫を行うことによって,相手に接触による快感からその興奮を高めて往きながら,軽く甘噛みしてみたりする作業から始めることになる.これはとりあえず刺激から痛みに対する反応を観察して見てみるためのチェックでもある.あるいは,後ろから女に挿入する体勢から合体Sexに到る際に,女の髪を軽く掴んで,軽く引っ張っりさらに刺激を試みたりすることを試したりが行われることになる.これらの行為においては,「性感が興奮に高まっている女の顔を眺めながら,合体Sexで登り詰めるのが快感の源泉になるのだ」と,叫びながら刺激する行為を試みてみよう.これらの女を刺激する行為から,痛みに対する女の反応と,許容度を推し測ることになるのである.
女の体というのは,快感に対しては貧欲に受け入れるが,痛みに対しては拒否反応が強くなるものだから,最初に与える痛みは弱く,快感と共に同時に加えるというのが原則になるだろう.まず快感を強く与え,その中でも痛みも少しずつ高めていくようなやり方で,女の体を少しずつ,軽い快感刺激とともに軽い痛みを甘受できる状態に変化させてゆくというシナリオなのである.
それと同時に,快感もさらに高まるようにしていくようにするのである.つまり,合体Sexにおいて女に性感の頂点に到達させる経験をさせることが重要な課題ということになるだろう.Sexにおける快感の頂点をすでに経験している女であれば,つぎはさらに繰り返して頂点に登り詰めるように何回か繰り返すようにすることである.
これらは女に依ってそれぞれ反応が異なるのだが,性感の興奮が頂点まで届いた後に,さらに快感の刺激を続けると,それは苦痛に変わってしまうのである.それでも何回か続けると,女は頂点の状態から,さらに体をケイレンさせたり,時には意識がもうろうなるほどに登り詰めてしてしまう場合がある.これがボンデージの責めと同じで「快虐責め」ということになる.
そこまで快感による痛みを受け入れた女の手首を後手に重ねてロープで縛り,さらにお尻を持ち上げて,男性自身をインサートして合体して性感を刺激すれば,今度こそは男が心ゆくまで合体Sexを愉しむことができるというシナリオなのである.
ボンデージ行為というのは,責める場合には女に執拗なくらいに快感を与えた後であれば,痛みであってもそれを受け容れるように,快感に浸りきろうとする女であれば徐々に変わってゆくのが普通である.
ボンデージにおいては,縄による縛り方や責め方の技法を習得しておくことも重要だが,それら以前において女が,痛みであってもそれを受け容れられるような基本的な状態を作りそれになれさせておくことの方が,ボンデージ行為のゲレンデ・プロセスとしては大きく重要なことと考えて次のステップに進んで行くことにしよう.
