秋になると,透明なサイダーの甘さと炭酸の刺激が舌に心地良い.
日本では炭酸の入った甘い飲料水は,サイダー(米国ではソーダというらしい)と呼ばれている.英国でサイダーというと,リンゴで作った果実酒のことを意味している.フランスにもサイダーを作っている酒メーカーがあり,”Cidre”と表記している.英国では”Cider”となる.南イングランドには,いぅつかのサイダー製造業者があるので,海峡を挟んでサイダー作りに適した気候条件にあるのか,ケルト人がサイダーを好むためなのであろう.
宮沢賢治は, サイダーが大好きだったという.
給料日には行きつけの蕎麦屋「やぶ屋」に出掛けて,天ぷら蕎麦とシャンペンサイダーを注文していたそうだ.
当時の天ぷら蕎麦は15銭,それにシャンペンサイダーは23銭.蕎麦の1.5倍ほど高価な炭酸飲料だったようだが,
賢治はいつも必ずサイダーをセットで注文していたという.
それほどサイダーが好きで,賢治がまわりの人達に,
「一杯飲みましょうか」と誘う場合には,それはアルコールではなくサイダーのことだったらしい.
当時としては,甘い物はまだ贅沢な食べ物,嗜好品だったのだろう.
シャンペン・サイダーも甘い嗜好品のひとつだったが,流行が人気を呼び,売れ行きは加速していったという.
帝国鉱泉株式会社が多田村平野(現在の兵庫県川西市)に設立され,三ツ矢平野水(現在の発泡水のようなもの)にサイダー・フレーバー・エッセンスを加えて甘味のある「三ツ矢印の平野シャンペン・サイダー」が発売されたのは1907(明治40)年である.
その後,シャンペン・サイダーの製造元は1921(大正10)年には日本麦酒鉱泉株式会社に,1933(昭和8)年になると大日本麦酒株式会社に,1949(昭和24)年には朝日麦酒株式会社へと移ったが,1954(昭和29)年まで平野工場で生産が続けられた.
1968(昭和43)年になると,「三ツ矢シャンペンサイダー」から「三ツ矢サイダー」に名前が変更された.
こうして“シャンペン・サイダー”の名は消えたが,現在に続く三ツ矢サイダーが始まったのだ.
糖分に砂糖だけを使用した「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」が,1952年(昭和27)年に発売された.
新しいデザインの340ml瓶が1972(昭和47)年に発売されたが,ラベルは紙から,瓶に直接印刷するようになった.
三ツ矢サイダーの変遷を語るうえで忘れてはならないのは,容器の変化である.
三ツ矢平野水のころからずっと340ml入りの瓶が使われてきたが,これは1本の瓶を数人で注ぎ分けて飲むための大きさだった.これが1970(昭和45)年には,「三ツ矢サイダー・シルバー200ml瓶」が登場し,この頃から,ひとりで瓶1本を専有して飲みきるスタイルに変わってきた.
1971(昭和46)年には,250ml入りの「三ツ矢サイダー・シルバー缶」が発売された.この背景には流通経路の変化があった.それまでサイダーなどの清涼飲料水は,ほとんどが酒屋経由で販売されていた.数ケースを酒屋に注文し,ビールと一緒に届けてもらうという購入法が一般的だったのだ.
缶入りサイダーが登場した背景には,スーパー・マーケットなどの量販店が販売の中心になってきたことと関連しているのだ.飲んだ後は空き缶は軽いから容易に潰して破棄してしまう使い捨て容器となった.消費者にとっては瓶より缶の方が軽量で扱いやすいと思わせたのだ.また,このころより急速に増えた自動販売機も,缶入りサイダーの普及を後押しした.
さらに大きな変化をもたらしたのは,1985(昭和60)年に発売された1.5LのPETボトルだった.瓶や缶の時代は消費者がその場でサイダーを飲みきるしかなかったが,PETボトルならキャップがついているから中断して飲み直すことができるようになった.また,家族全員がそれぞれに好きなときに好きな量を飲むことができるというメリットもある.サイダーに限らず,1.5LのPETボトルの登場は,清涼飲料水の歴史にとって革命的な出来事だったのだ.しかしPET容器のリサイクルになると,回収を担当する自治体に費用と実務が負荷となっている.

